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● 安心なお米屋さん

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天孫降臨

天孫降臨

天照大御神と高木神(たかぎのかみ)は太子(ひつぎのみこ・皇太子)である正勝吾勝勝速日天忍穂耳命(まさかつあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと)に詔(みことのり)あそばされ「今葦原中国(あしはらのなかつくに)を説得して平定したと報告があった。よって、命令したとおり、葦原中国に降って、国を知らせ(治めよ)」と仰せになりました。
 
太子の天忍穂耳命は「私が降りる準備をしている間に、子どもが生まれました。名は天邇岐志国邇岐天津日高日子番能邇邇芸命(あめにきしくににきしあまつひこほのににぎのみこと)といいます。この子を今葦原中国の降ろすべきでしょう」と申し上げました。

邇邇芸命(ににぎのみこと)は天照大御神に「この豊葦原水穂国(とよあしはらのみずほのくに)はおまえが治めなさい、命令の通り天降(あまくだ)りなさい」といわれました。
邇邇芸命が命令のとおり高天原から地上に天降ろうとすると、天の八衢(あめのやちまた)(天と地の間にある方々への分かれ道)に、上は高天原を照らし、下は葦原中国を照らす神がいました。
 
天照大御神と高木神は天宇受売神(あめのうずめのかみ)に、「おまえはか弱い女であるが、相対する神と向かい合ったときに気後れしない神である。だから、おまえが行って、『我が御子(みこ)が天降ろうとする道に、そのようにいるのは誰か』と尋ねなさい」と命じました。

ところで、天宇受売神は、天照大御神が天岩屋に隠れてしまったときに、艶(あで)やかな踊りを踊った神です。
そこで、天宇受売神が尋ねると、「私は国津神(くにつかみ)で、名は猿田毘古神(さるだびこのかみ)です。ここにいる理由は、天津神(あまつかみ)の御子が天降りされると聞きつけたので、御先導させていただこうと思い、ここへ参上し、待っていました」と答えました。

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  • そこで、天児屋命(あめのこやねのみこと)、布刀玉命(ふとだまのみこと)、天宇受売命、伊斯許理度売命(いしこりどめのみこと)、玉祖命(たまのおやのみこと)の併せて五伴緒(いつとものを)を、それぞれの職業を分けて従えて天降りました。

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五伴緒は、「伴」は世襲による同一職業の集団、また「緒」はそれら集団の長を意味します。 このとき、天照大御神は八尺勾瓊(やさかのまがたま)と鏡、また草薙剣(くさなぎのつるぎ)を授け、さらに思金神(おもひかねのかみ)、手力男神(たぢからをのかみ)、天石門別神(あめのいはとわけのかみ)を同伴させ、 「この鏡は、私の御魂(みたま)として、我が身を拝むように祀りなさい。次に思金神はこのことを引き受けて、神の政事(まつりごと)をしなさい。」 とおっしゃいました。 (三種の神器については、天の岩屋戸・八俣大蛇(遠呂知)を参照してください)

そして、天照大御神と鏡は、五十鈴宮(いすずのみや)(伊勢の神宮の内宮(ないくう)、現在の三重県伊勢市)に祀りました。
次に、登由宇気神(とゆうけのかみ)は、外宮の渡相(とつみやのわたらひ)(伊勢の神宮の外宮(げくう)、現在の三重県伊勢市)に鎮座する神です。

次に天石門別神(あめのいはとわけのかみ)は、またの名を櫛石窓神(くしいはまどのかみ)といい、またの名を豊石窓神(とよいはまどのかみ)といいます。この神は御門(みかど)の神です。

次に手力男神(たぢからをのかみ)は佐那那県(さなながた)に鎮座しています。「佐那那県」は地名で「佐那の県(あがた)」を指します。また伊勢国多気(たけ)群に手力男神を祀る佐那神社があります。

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